2005年9月の総選挙は、小泉純一郎首相が郵政民営化を単一争点として押し出し、圧勝した。野党民主党は政権交代を目標に掲げ、広範囲の改革を約束するマニフェストを掲げたが、小泉首相は選挙戦を通じて終始世論の注目を引きつけた。国民の期待は大きくかき立てられたが、それだけに期待に応えられなかったときには失望感もあろう。自由民主党は1955年の結党以来、93年の10カ月の中断を除いて、連立も含めて常に政権に就いていた。このような自民党一党優位の体制がいわゆる「55年体制」であるが、結党50年の2005年、その体制が終わるのかどうか、終わるとすればどのような新しい体制が生まれるのかが、9月総選挙の中でようやく現実的な問題となった。この体制は、その内容に注目して政財官の「鉄の三角同盟」ともよばれたりする。自民党議員は公共事業を自らの選挙地盤に導入して何度も当選を重ね、公共事業によって利益を上げた財界は自民党に献金し、官僚は公共事業を立案・予算化すると同時に自らの天下り先を確保し、このような三者の共存関係はたしかに確固たるものであった。これを可能にしていたのは、日本の高度経済成長であったが、今ではそれは過去のものとなり、自民党内においても小泉首相に代表される、民にできることは民に譲るという「小さな政府」を追求しようとする派と、従来どおりの、国民生活のこまごましたところまで干渉しお世話する「大きな政府」の枠組みを維持しようとする派との間の対立は、もはや隠しようもなくなった。構造改革のためには「自民党をぶっ壊す」と唱える小泉首相を党の総裁に選び出したのは、もっぱら地方の党組織からの圧力であった。その改革政策の「本丸」と位置づけられたのは、小泉首相のかねてからの主張である郵政民営化であった。