戦後の新憲法下の政治では、閣僚はもっぱら与党議員から任命される政党内閣制であるが、事実上の万年与党の自由民主党に政策形成の能力が低く、明治以来の官僚統治の伝統が強く残っている。閣僚は首相と内閣の意向よりも、担当する省の省益の代弁者となり、自民党政調部会の族議員がそれを支えて内閣による統一的な国政運営を妨げる。1990年代以降、規制緩和と地方自治の強化が自民党自身の中から叫ばれるとともに、政党内閣の外見にもかかわらず事実上の官僚の内閣支配があるとして、それを批判する言葉としてこの用語が頻繁に用いられるようになった。