第一次世界大戦後の政治秩序の混乱の中で生まれた思想と運動。この言葉は1920年代末のウェブスター英語辞典に初めて収録されたと言われている。そこではイタリアのファシズム、ドイツのナチズム、ソビエト連邦の共産主義が代表的なものとして挙げられていた。ムッソリーニ、ヒトラー、スターリンなどの独裁者の下、言論機関と政治警察を支配下におき、反対政党を非合法化し、労働組合や農民運動、企業家団体や教会の自律性を否定する。資本主義、共産主義、ユダヤ人など、民族と国家の共通の敵を攻撃し、それ以外のいわば味方の陣営の中には対立はないと信じさせる。体制内の反対勢力には粛清を強行し、そして味方を全体として不断に大衆運動に動員していった。30年代の国際秩序に対する現状不満の勢力として、第二次世界大戦への緊張を激化させていった。39年8月には、スターリンはヒトラーと独ソ不可侵協定を結び、全体主義の国際的同盟が生まれるかに見えたが、ソ連は結局は第二次大戦では英米側につき、全体主義として独伊と一括されるのを嫌った。