内閣は、国会での政府法案の成立について全面的に与党に依存している。初期の国会では、審議の過程で必要に応じ与党修正または与野党共同修正が行われたが、1955年の自由民主党(自民党)成立前後から、次第に与党の事前審査が慣行化し、政府法案は官僚と与党の政策担当機関(自民党の政務調査会など)の調整を経て起案され、与党の党議決定(自民党では総務会の決定)の後に閣議決定されるようになった。与党による政府法案の事前審査は、自民党政権時代の立法過程の著しい特色で、政府とは別に与党という権力機構を作り出し、政治が選挙を意識し利益誘導化する原因となるとともに、立法の政治的調整が事前に国会外で行われることで、国会の空洞化の原因ともなった。これに対して2009年に成立した民主党中心の鳩山由紀夫連立政権では、政策の政府への一元化を掲げて与党の事前審査を廃止し、政府法案は政府の判断のみで取りまとめて国会に提出することにし、そのために党の政策調査会も廃止した。その後の菅直人内閣では、政策調査会を復活させ、その部門会議や各府省政策会議(各府省の副大臣が主宰し、与党議員と意見交換するもの)で与党の要望も取り入れるようにし、さらに野田佳彦内閣では政府法案の国会提出には政策調査会長の了承が必要として、実質的に与党の事前審査制を復活させた。しかし野田内閣では、野田総理が政治生命をかけると明言した社会保障と税の一体改革における消費税の引き上げをめぐって、民主党内の議論の過程は対立と党内の亀裂の増幅の過程となり、自民党政権下のような党内合意を作り出していく手続きとしての与党審査とは異なるものとなった。12年に自民党と公明党が与党に復帰した後は、従来の自民党型のシステムが復活したが、12年および14年の総選挙での勝利に対する安倍晋三首相のリーダーシップが与党内で高い評価を受けた結果、首相を頂点とする官邸主導の色彩が強くなっている。