戦後日本の外交を主導してきた考え方として、しばしば指摘されるのが「吉田ドクトリン」としてまとめられる考え方である。これは、第一に冷戦下で自らを西側陣営に位置づけ、アメリカとの提携を外交の基調とする、第二に安全保障面においてアメリカに依存し自らの防衛力は必要最小限とする、そして第三に経済外交を重視する、以上3点を骨子とするものである。全面講和論を排し、西側諸国との多数講和を選択した吉田茂首相は、サンフランシスコ講和に至る過程で、大規模な再軍備を迫るアメリカのダレス特使に対し、日本の国力を疲弊させかねないとしてこれを否定し、後の経済中心的な外交の基礎を据えたのである。吉田自身が、「ドクトリン」などと言ったことはないし、この方針自体を吉田が固定的に考えていたとはみられない。しかし以後の日本外交の大枠はこの路線を歩み、1960年代の池田政権、佐藤政権によって定着していった。現代日本外交を評価するとき、しばしば吉田ドクトリンからどれだけ変化したのかという議論がされる。