第二次世界大戦に至る日本とアジアの近代史をどのように認識するかは、学問的問題であるだけではなく、日本外交においては、きわめて現実的な問題である。1982年には、社会科の教科書検定をめぐって外交問題が起こったし、85年には中曽根康弘首相が靖国神社を公式参拝して、中国から批判を呼んだ。歴代内閣の多くでは、閣僚が、日本は侵略を行ったのではないなどとの趣旨の発言をするたびに外交問題となったし、92年に天皇陛下が訪中するにあたって、いかなる「おことば」を語るかが大きな問題となった。93年夏、自民党体制の崩壊を受けて政権に就いた細川護煕首相は、「過去のわが国の侵略行為や植民地支配などが、多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに、改めて深い反省とおわびの気持ち」をもつと語り、これまでにない明確な発言をした。しかし、それ以後も、閣僚の問題発言は続き、95年には戦後50周年の国会決議案文も、連立与党内の妥協の産物となり、誰をも満足させないような文章になった。しかし、政府としての統一見解としては、95年8月15日に、村山富市首相の談話が発表され、これがその後の日本政府の基本的見解として踏襲されることになった。村山首相談話(村山談話)の重要部分は、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明いたします」というものであった。しかし、その後も2000年から01年にかけて新たな教科書問題や小泉首相の靖国神社参拝問題が起き、05年春には、中国で大規模な反日デモが起きるなど政治問題化した。05年8月15日は、戦後60年ということで小泉首相も、村山談話を踏襲した談話を発表した。