北朝鮮の核開発問題などを中心に、韓国、北朝鮮、中国、アメリカ、日本、ロシアが参加して行う協議。2003年8月に中国のイニシアチブで開始され、04年に2回、05年7月に第4回目の会合が北京で開催され、中断ののちに05年9月に再び開催された。9月19日、難航の末初めての共同声明が合意された。この共同声明で北朝鮮は「すべての核兵器および既存の核計画」の放棄を約束し、日朝関係についても、「平壌宣言」に従って国交正常化のための措置をとることが合意された。しかし、その後アメリカがマカオの銀行「バンコ・デルタ・アジア」が北朝鮮のマネーロンダリングに関係しているとしてこれと全米の金融機関との取引を禁止したところ、北朝鮮が反発し、事態は停滞した。06年北朝鮮がミサイル実験と核実験を行い、事態はさらに悪化した。06年11月のアメリカ中間選挙をうけて、北朝鮮との二国間交渉に応じる姿勢に転じた結果、共同声明実施に向けた動きが再開され、07年2月「初期段階の措置」が合意された。しかし、その後も合意された措置の実施はなかなか実現せず、3施設の無力化については実現したとみられるが、07年末段階で、すべての核開発計画の申告については実現していない。