アジア太平洋地域の安全保障問題を域内諸国が討議するために設立された初めての多角的枠組み。1980年代末期から、アジア太平洋でも安全保障問題を議論する多角的メカニズムが必要だとの意見がオーストラリアやカナダから出されるようになっていたが、なかなか実現しなかった。しかし、91年7月のASEAN拡大外相会議において中山太郎外相が、ASEAN拡大外相会議をベースとした「政治対話」を行うことを提案し、これが、一つのきっかけとなって、ASEANを中心とした安全保障対話の道が模索されることになった。以後、92年1月の第4回ASEAN首脳会議において、政治・安全保障に関する域外との対話を強化することが合意され、93年7月のASEAN拡大外相会議で、ASEAN地域フォーラム(ARF)を創設することが合意された。当初のARFのメンバーは、ASEAN拡大外相会議のメンバー(ASEAN加盟6カ国、日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、カナダ、EC)に、中国、ロシア、ベトナム、ラオス、パプアニューギニアを加えた17カ国・1機関で、第1回の会合は、94年7月にバンコクで開催された。第2回会合は、95年7月、ブルネイで開催され、カンボジアが新たに加わった。第3回会合は、96年7月、ジャカルタで開催され、新たなメンバーとしてインドとミャンマーが参加した。ARFの取り組みとしては、第2回会合で、信頼醸成の促進、予防外交の進展、紛争へのアプローチの充実という3段階を漸進的に進めることが合意された。また、高級事務レベル会合の議長を支援するため、国防当局者も参加する三つの政府間会合「信頼醸成措置、PKO、および捜索・救難」の開催が決定された。98年7月にマニラで開催された第5回閣僚会合では、インドとパキスタンによる核実験に対する重大な懸念と強い遺憾の意が議長声明に盛り込まれた。99年には北朝鮮が加盟。2004年はジャカルタで開催され、朝鮮半島問題で6カ国協議を評価し、その促進を求めたほか、海峡テロへの対策をとることに合意した。また、国防副大臣級の新部会「安全保障政策会議」の設置と新たなメンバーとしてパキスタンの加盟を決定した。05年はビエンチャンで開催され、06年からのバングラデシュの参加を決定した。06年7月には、クアラルンプールで開催され、北朝鮮問題などが議論されたほか、07年からのスリランカの参加を決定した。07年8月にはマニラで開催された。