1993年10月、訪日したエリツィン大統領と細川護煕首相との間で合意された文書。北方領土問題について、ソ連末期のゴルバチョフ政権は、ある程度の柔軟性を示すようになってきていたが、現実的な動きとしては、この「東京宣言」まで待たなくてはならなかった。「東京宣言」で両首脳は「両国間で合意の上作成された諸文書」と「法と正義の原則」を基礎に平和条約締結に向けての領土交渉を継続することに合意したが、その後も、日ロ関係はそれほど大きく進展しなかった。新しい機運が生まれたのは97年に入ってからであり、橋本龍太郎首相の「ユーラシア外交」の提唱によってである。