2004年9月の国連総会に自ら出席した小泉純一郎首相は、日本が常任理事国になる意欲を明らかにするとともに、国連改革を訴えた。03年11月に、アナン国連事務総長のイニシアチブで世界各国から16人の有識者を集めた「ハイレベル委員会」が組織され、国連改革への諮問がなされた。同委員会は、04年12月に報告書を提出した。国連改革については、常任理事国を六つ拡大し非常任理事国を三つ拡大して理事国総数を24とする案(モデルA)と、再任可能な任期4年の新たな議席(いわゆる準常任理事国)を八つ創設し、非常任理事国を一つ拡大して理事総数をやはり24とする案(モデルB)の二つの具体案が列記された。日本は、同様に常任理事国となることを狙うドイツ、インド、ブラジル(4カ国をG4と呼ぶ)とともに、憲章改正のための決議を国連総会で成立させようと努力した。日本は、国連総会で多数の国々を擁するアフリカへの働きかけを強めた。国連総会で圧倒的多数で憲章改正の決議を通過させ、この票の力で、現在の常任理事国に憲章改正反対の拒否権の行使をさせないようにしようとしたのである。しかし、05年3月末から4月にかけて、中国で大規模な反日運動が起き、中国政府はG4の運動に大々的な反対姿勢をとるようになった。また、アメリカもG4とは全く異なる改革案を提示するようになった。さらに7月には、アフリカ連合(AU)との決議一本化の調整も難航し、結局、当初のもくろみのミレニアム首脳会議以前の決議成立は実現困難となった。安保理常任理事国入りは、長期戦にならざるをえない状況である。