1993年8月4日、当時の宮沢喜一内閣の河野洋平内閣官房長官が発表した慰安婦関係調査結果発表に関する談話。いわゆる従軍慰安婦問題について、91年12月から日本政府によって行われた調査結果を踏まえた官房長官談話である。
同談話は、大日本帝国の統治下にあった朝鮮半島において慰安婦の募集、移送、管理等が「甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と断定して、旧日本軍の直接あるいは間接の関与を認めている。そして「政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」として従軍慰安婦に対する謝罪の意を明らかにするとともに、この問題を歴史の教訓として直視し、歴史研究、歴史教育を通じて永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないとの決意を表明した。
河野談話に対しては、「ニューヨーク・タイムズ」や新華社通信などが好意的な評価を与えた。韓国政府も当初は歓迎した。しかし、韓国挺身隊問題対策協議会など韓国国内の被害者支援団体は、談話が日本政府の関与についてはあいまいにしか認めていない、問題の真実に迫らず調査を終えようとしているなどとして厳しく批判した。他方、日本国内では、慰安所の設置、運営において政府・軍の直接的関与や「強制性」はなかったと主張する人びとが、談話の記述は事実に反すると非難した。第3次安倍内閣下で進められた有識者による河野談話の検証(2015年6月、「慰安婦問題をめぐる日韓間のやりとりの経緯――河野談話作成からアジア女性基金まで」公表)は、そうした観点を考慮して行われた作業である。
河野談話の文言は、日韓両政府間の調整を経て最終的に決定されたものである。慰安婦の動員の「強制性」などについて日韓の認識が大きく異なるなか、両政府は問題の解決に前向きであった。ただ、そうした当事者たちの意図とは裏腹に、河野談話は、この問題をめぐる歴史認識の相違を鮮明にし、対立を激化させるきっかけになったといえるだろう。それでも、従軍慰安婦問題に関する日本の立場について、国際社会と日韓両政府が受け入れられるのはこの河野談話で示された線以外には存在しないことも事実である。