初の海上警備行動となった1999年3月の北朝鮮工作船事件では、監視活動中の海上自衛隊のP3C哨戒機が能登半島東方と佐渡島西方の領海内で日本漁船を装った北朝鮮工作船と見られる不審船2隻を発見、巡視船、護衛艦、航空機などで一昼夜にわたり追跡したが、不審船は日本の防空識別圏外へ逃走、北朝鮮北部の港に入港した。2001年10月、海上警備行動での不審船などへの危害射撃を可能とする自衛隊法改正案(改正海上保安庁法を準用)が成立、同年12月の奄美大島沖不審船事件では海上保安庁が初の危害射撃を実施、02年4月には発見した不審船が武装工作船の可能性が高い場合、当初から海上自衛隊の艦艇を出動させる方針が決まった。防衛庁(当時)は事件後、(1)導入するミサイル艇の速度を向上、(2)不審船を武装解除・無力化するための特別警備隊を海上自衛隊に編成、(3)護衛艦、哨戒ヘリへの機関銃の装備、(4)強制停船措置用装備品の研究、(5)海上保安庁との共同対処マニュアル策定、(6)同マニュアル検証のための共同訓練(図上および実動)、(7)殺傷射撃の容認を含む法的問題の整理、などの対策を講じた。04年11月には、宮古列島周辺での中国原子力潜水艦の領海侵犯に、海上警備行動が発令された。ソマリア沖の海賊行為の多発を受け、中国海軍も艦船を派遣したことから、09年1月に麻生首相は海上警備行動に基づく海上自衛隊派遣の検討を防衛省に命じ、3月に護衛艦2隻がソマリアに派遣された。6月には、海賊処罰取締法が成立したため、護衛艦派遣の法的根拠は、海上警備行動から同法に変更された。