第一次世界大戦の甚大な被害にかんがみ、1928年のパリ不戦条約では、侵略戦争が違法化された。その後の国際連盟の挫折に照らして、第二次世界大戦後、国際連合は安全保障理事会の主導による集団安全保障(どの加盟国に対する武力攻撃も、すべての加盟国に対する武力攻撃とみなすことで、侵略を阻止しようとする仕組み)を構想したが、安全保障理事会が国際の平和と安全に必要な措置をとるまでの間、加盟国に個別的および集団的自衛権を容認した(国連憲章51条)。個別的自衛権は、自国に対する武力攻撃に一国で対処する権利であり、集団的自衛権は、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が攻撃されていないにもかかわらず実力をもって阻止する権利である。日本が個別的および集団的自衛権を有することは、国連憲章のほかにも、サンフランシスコ講和条約や新旧の日米安全保障条約などで確認されている。だが、日本政府は集団的自衛権について、「権利は保有するが、憲法解釈上、行使はできない」との立場に立っている。国際政治の複雑化と軍事技術の進展などにより、個別的自衛権と集団的自衛権の区別は、実際にはますます困難になっており、近年の憲法改正論議では、集団的自衛権の行使を容認すべきだという意見が、与野党ともに有力になっており、2005年8月に発表された自民党の憲法改正の第1次草案でも、その旨が明記されている。