第2次中曽根内閣の発足(1983年12月)に際して、歴代内閣として初めて閣僚が保有する資産が公開された。当時、田中角栄元首相に対するロッキード裁判をめぐり政治家の政治倫理が問題となっていたからである。公開された資産の範囲は、閣僚の本人名義の(1)土地・建物、(2)当座預金を除く預貯金と国債・公債・株式・投資信託・貸付信託などの有価証券、(3)貸付金と借入金、(4)ゴルフ会員権、自動車のほか100万円以上と推定される書画、刀剣などの美術工芸品である。資産評価の基準は、土地などについては固定資産税課税標準価格、株式などについては額面価格など、時価より低い額となっている。さらに、88年夏以降のリクルート事件を契機として、宇野内閣からは、単に本人だけでなく、家族名義の資産についても、閣僚の就任時だけでなく、退任時の資産も公開されるようになったほか、政務次官の資産の公開も行われるようになった。細川連立内閣も初閣議で(1)有価証券や不動産などの在任中の取引は自粛する、(2)保有株式は在任中は信託して、解約・変更をしない、(3)営利企業の兼職を禁止することなどを申し合わせた。