人民の生命・自由が支配者の恣意に委ねられる専制主義に陥らないためには、為政者による統治活動に対して何らかの抑制を設けなくてはならないが、その抑制原理として、権力分立および責任政治という二つの要素を求める思想を、近代立憲主義または立憲民主主義(constitutional democracy)といい、この略称として立憲主義の語が広く用いられる。まず、権力分立の原理によれば、制度上、国家作用を立法・行政・司法に大別し、これらの作用を各別の機関に担当させる。この場合、(1)立法については、国民自ら又はその代表者が決定的に関与し、司法については独立した裁判所が行うこと、(2)人民の権利自由はこうした体制を通してのみ確保されるとの認識がある。1789年フランス人権宣言が、「権利の保障が確保されず、権力の分立も定められないすべての社会は、憲法を有しない」としたのは(16条)、権力分立の原理と権利保障の理念との結びつきをよく示している。他方、責任政治の原理は、国政上の決定を行う者に対する責任追及のあり方を制度化することを求める。この責任には法的なものとそうでないもの(政治責任)とがあるが、政治過程の中では、特定の要件・効果・手続に制約された法的責任よりも、そうした限定がなく、広く応用できる政治責任の追及の仕方のほうが問題となる。選挙、つまり任期制と公選制は、もともとそうした意味をもつが、立憲主義の歴史の上では、大臣責任制が最も重視されてきた。大臣に対する責任追及の方法は、大臣の君主への依存度に応じていろいろありうる。国政上の権限は本来君主固有のものとする「君主主義」原理が強いところ(19世紀南ドイツ諸国)では、議会による大臣責任の追及は最小限にとどめられ、大臣は議会側の質問に答弁する義務を負うだけである。そこで、場合によっては議会が大臣を罷免するという弾劾制度も活用されたが、この強制手続を免れるため、むしろ大臣の方で自発的に辞職するという慣行が生まれた。ここから、諸大臣で組織される内閣が議会の信任の下に在職するという議院内閣制のしくみが確立する。これが議会君主制(parliamentary monarchy)で、19世紀前半のイギリスやフランスでは立憲君主制の理想とされた(国王は君臨すれども統治せず)。その点で、三権分立の名の下に「君主主義」原理を守ろうとしたドイツ型立憲君主制と区別される。議会君主制を立憲主義の理想形体とする見方に立つとき、大臣の個別的な答弁責任しか認めないドイツ型の憲法制度は、本当の立憲主義に値しないとして、「外見的立憲主義」と揶揄(やゆ)されることになる。