日本国憲法の制定の契機となったのが連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の作成したマッカーサー草案で、呼び名はその司令官の名に由来する。前期における調査の成果(松本案)を論外とみた総司令部民政局(GS)は、アメリカ本国政府の指令を基に一種の憲法制定会議を開き、約1週間後に全11章92カ条からなる草案をまとめ、日本政府に手交した(46年2月13日)。その内容は、国民主権・象徴天皇制・戦争の放棄・一院制国会・違憲法令審査制などを定めたもので、日本政府にとっては革命的なものであった。しかし、日本側の要望により国会が両院制に改められた点を除いて、マッカーサー草案を基にした日本政府案が第90回帝国議会の審議に付され、多少の修正を経て可決された。これが「日本国憲法」である。同じ戦争放棄条項でも憲法正文とマッカーサー草案、その原型であるマッカーサー・ノートとの間には微妙な違いがあり、自衛戦争・自衛戦力をめぐる論争を左右する意味をもっている。