国家という政治的共同体のあり方を終局的に決定する権威が、個人の集合体である国民全体にあるとする原理。この場合の主権とは、対外的意味でのそれ、つまり国際社会における国家の独立性をいうのでなく、対内的にその国家における統治権力の正統性のありかを示す。中世以来、神勅主権やこれに基づく君主主権の原理が長く支配的であったが、社会契約思想を背景として、アメリカ独立革命やフランス革命の前後から、国民主権の原理とこれに基づく憲法制定権力の考えが強く主張されるようになった。国民主権は、神の意思を引き合いに出さない点で世俗的な政治組織原理であり、君主の憲法制定権力を否定する点で民主的な政治体制を要求する。しかし、その原理と調和する限りで「君主」という国家機関を設けることまで否定されるわけではない。現にベルギーのように、早くから国民主権を原理とした君主制国家があり(1831年憲法)、日本国憲法における象徴天皇制も、同じような考えに立っている。フランス革命前後に主張された国民主権論は、社会に実在する個人の集合体という意味での国民を想定してはいなかった。そこで唱えられた「国民」は、それ自体独立した意思や人格をもつ抽象的な存在であり、現実に主権的権利を行使しうる存在ではないから、「国民」の委任を受けた「代理人」(代表)のみが正当な統治権を行使しうると考えられ、必然的に代表制(代議制)という統治形式が絶対視される。現在の国民主権論は、そうした抽象的人格でなく、実在する人々の集合体としての国民(人民)を想定し、代表制のシステムの枠外での、場合によっては国民代表議会の決定に反するかたちの意思表明も、正当なものと認める。これはフランス憲法学にいう「人民主権」論の流れに沿うもので、日本国憲法にいう国民主権の原理もその意味で理解される。