一定の個人的な事柄について、公権力から干渉されることなく個人が自ら決定することのできる権利。人格的自律権ともいわれ、日本国憲法の解釈としては、「個人の尊重」の原理を背景とする幸福追求権(憲法13条)の一部に位置づけられる。一定の個人的な事柄という表現は茫漠としているが、個人の尊厳や善き生といった前提を置くと、そのエッセンスを抽出することができる。例えば、(1)自己の生命・身体の処分にかかわる事柄、(2)家族の形成・維持にかかわる事柄などである。公的施設での臓器移植・延命治療・安楽死の可否といった問題は、前者の中に含まれる現代的で深刻な論点を浮き彫りにしている。この点で、宗教的理由から輸血拒否の意思を明らかにしていた「エホバの証人」のがん患者の意思に反して医師があえて輸血したという事案で、東京高裁が、患者の同意を必要とし、これは「各個人が有する自己の人生のあり方(ライフスタイル)は自らが決定することができるという自己決定権に由来するもの」で、「いわゆる尊厳死を選択する自由」も認められると説いたことは大きな反響を呼んだ(1998年2月9日判決)。最高裁はその概念を用いることなく事件を処理したが(2000年2月29日第三小法廷判決)、自己決定権や尊厳死といった考え方を否定したわけではない。