日本の平和外交の一つとして、1967年4月に佐藤栄作内閣(当時)により、共産圏諸国、国連安全保障理事会(安保理)により武器輸出が禁止されている国、国際紛争の当事国への武器の輸出が禁止され、76年2月の三木武夫内閣(当時)で、憲法などの精神にのっとり武器輸出を慎むものとし、実質的に武器の輸出が全面的に禁止された。その後、ミサイル防衛共同研究の進展により、小泉純一郎内閣(当時)は2004年12月、アメリカとのミサイル防衛の共同開発・生産(→「日米ミサイル防衛共同開発」)を三原則の例外とした。さらにアメリカとの他の武器の共同開発・生産、アメリカ以外も含むテロ・海賊対策支援も、例外として個別の案件ごとに検討するとした。11年12月野田佳彦内閣は、これまでの個別例外化措置を緩和し、平和貢献・国際協力に関する防衛装備品等の海外への移転、および我が国の安全保障に資する防衛装備品等の国際共同開発・生産については、包括的に例外化することを決定した。