西インド諸島イスパニオラ島の西半分を占めるハイチでは、1990年代初頭から内戦状態となり、93年以降国連ハイチミッション(UNMIH、93~96年)、国連ハイチ支援ミッション(UNSMIH、96~97年)、国連ハイチ移行ミッション(UNTMIH、97年)、国連ハイチ文民警察ミッション(MIPONUH、97~2000年)を漸次派遣し、00年には事態は鎮静化した。しかし、04年に政治混乱から再び治安状態が悪化し、アリスティド大統領は国外に亡命した。この状況に対応するために、04年4月、安全保障理事会(安保理)は決議1542を採択し、国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)の派遣を決定した。MINUSTAHの任務は、ハイチにおける安定と安全の確保、憲法に基づく政治プロセスの実現、人権状況の改善と監視を支援することである。こうしてハイチの治安は次第に改善され、人々の生活も落ち着いてきていたが、10年1月の大地震で首都ポルトープランスを含め各地の建物、道路、橋等のインフラが崩壊し、多数の死者、行方不明者、およびけが人が出た。MINUSTAHの司令部のある建物も全壊し、死者、行方不明者も数百人にのぼった。国連は、大規模な地震の被害に対処し治安の悪化を防ぐため、MINUSTAHに対して3500人の増派を決定した。日本も、国連平和維持活動協力法(PKO法)に基づき、医療、インフラ復旧・復興および安定化などに当たるために約350人の自衛隊員をMINUSTAHに派遣したが、ハイチの復旧状況を踏まえ、13年1月末までにすべての要員が撤収した。