北朝鮮のミサイル問題は、核問題の影に隠れがちであったが、日本を射程に収めるテポドン1号が1998年8月に発射され日本列島を越えて太平洋に着水したことは、北朝鮮ミサイルの射程に日本が入ったことを意味したために、日本にとって無視できない脅威であると認識されるようになった。その後、米朝間で、北朝鮮のミサイル輸出を問題視したアメリカによって核問題と並んでミサイル問題が提起された。国連安保理決議、6者協議共同声明、日朝平壌宣言など、国際的、多国間、二国間の枠組みの中で、北朝鮮のミサイルに対する規制が位置づけられたが、強制力を持つような取り決めが依然として存在しないため、北朝鮮のミサイル開発や発射実験、輸出が既成事実として積み重ねられる状況が続いてきた。2006年7月、結局失敗に帰したが、北朝鮮は射程をより長くしたテポドン2号の発射実験を断行した。これを非難する国連安保理議長声明が出されたが制裁決議にまでは至らなかった。しかし、同年10月の核実験によって国連安保理の制裁決議が採択された。その後、今度は人工衛星を発射するという名目で、09年4月テポドン2号の発射実験が再度実施された。完全に成功したとは言い難いが、06年7月よりは、さらに性能が向上した。そして、11年12月の金正日(キム・ジョンイル)の死後、金正恩(キム・ジョンウン)体制下において、12年2月29日に「朝米高官協議に肯定的な雰囲気を維持するための実りある協議が進んでいる期間、核実験と長距離弾道ミサイル発射、寧辺のウラン濃縮活動を一時停止し、ウラン濃縮活動一時停止に関する国際原子力機関(IAEA)の監視を認めることにした」という米朝合意が発表されたにもかかわらず、その合意を破棄する形で4月13日に人工衛星「光明3号」の発射を強行して失敗した。過去2回の発射とは異なり、外国のマスコミにも発射に対する直接取材を認めたのみならず、北朝鮮政府自らが即座に失敗を認めた。そして、12月12日に再びその発射を強行して今度は成功を収めた。北朝鮮の長距離弾道ミサイルの射程がさらに延びてアメリカ本土を収めるようになる可能性も排除できないだけに、アメリカの対北朝鮮政策にも重大な影響を及ぼすことになる。