2008年2月に発足した韓国の政権。07年12月の大統領選挙で与党の統合民主党候補鄭東泳(チョン・ドンヨン)に圧勝して、李明博(イ・ミョンバク)ハンナラ党政権が登場した。高い支持率と野党勢力の停滞を背景に、政権初期は安泰かと思われた。しかし、政権引き継ぎ委員会が提示した教育政策に対する庶民層の反発、さらに、閣僚人事などでも批判され、支持率を急落させた。08年4月の国会議員選挙でも、大統領候補予備選挙で対立候補の朴槿恵(パク・クネ)を支持した反主流派を公認から脱落させたことなどに起因して、与党ハンナラ党の内紛を招来した。さらに、支持率の低下に拍車をかけたのが、アメリカ産牛肉輸入問題をめぐる対応の不手際がキャンドル集会などに現れた広範な抵抗を招いたことであった。ただし、08年後半には、一時期の危機を脱して、議会における与党の絶対多数を背景として、支持率の回復の兆しを見せた。09年には、盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領への収賄疑惑捜査が盧武鉉の自殺に帰結したために、政権への批判が高まり与野党間の極限的な対立が続いた。李明博政権は、この危機を鄭雲燦(チョン・ウンチャン)前ソウル大学総長の首相任命に伴う内閣改造で切り抜けた。ただし、世宗市への行政機能移転の公約の撤回は、与党内反主流派の反対などで挫折を余儀なくされた。また、10年6月に実施された地方自治選挙では与党は実質的に敗北を喫した。8月の内閣改造では指名した首相候補や外相がスキャンダルで辞退するなど政権の混乱に拍車がかかったが、他方で、南北関係の緊張が高まる中、11月のG20ソウルサミットなどをてこに政権末期の体制引き締めに躍起であるが、懸念された通り11年にはソウル市長補欠選挙で与党が敗北するなど、政権末期のレームダック状況を免れていない。