2011年12月に結成された民主統合党から、13年5月に党名を民主党に変更した韓国の第一野党。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が、金大中(キム・デジュン)政権時の与党民主党を割って、与党ウリ党(開かれたウリ党)を結成したことで、民主党は分裂した。しかし、07年12月の大統領選挙でのハンナラ党の圧勝、旧与党勢力の大敗北という結果を受け、旧与党勢力が再結集し、統合民主党が生まれた。08年4月の国会議員選挙で、前大統領候補鄭東泳(チョン・ドンヨン)、党代表孫鶴圭(ソン・ハッキョ)ら大物を、従来の選挙区から離れてソウルの選挙区で立候補させたが、結果として大物が次々と落選し、議席を81に激減させた。李明博(イ・ミョンバク)政権への支持低下の受け皿になり得ない状況が続く中、市民運動勢力や労働運動勢力との連携を目指し、11年12月民主統合党を結成し、12年4月の国会議員選挙に臨んだ。李明博政権への否定的評価が顕著である中、当初は第一党になるのではないかと予想されたが、127議席獲得にとどまり、与党セヌリ党に第一党の座を譲った。同年12月の大統領選挙では、盧武鉉前大統領の盟友、文在寅(ムン・ジェイン)候補が党内予備選挙を勝ち抜き、さらに、安哲秀(アン・チョルス)候補を立候補辞退に追いやり候補一本化を成し遂げるものの、与党朴槿恵(パク・クネ)候補に惜敗した。その後、大統領選挙敗北の責任を取る形で故盧武鉉支持勢力を中心とする主流派が背後に退き非主流派の金ハンギルが代表に就任したが、国会議員補選で敗北するなど党勢は伸び悩んだため、14年3月安哲秀支持勢力との合同を果たし党名を「新政治民主連合」とした。しかし、党内対立と党勢の伸び悩みは解消されず、15年2月、主流派が党権力を奪還し、文在寅が党代表となったが、結局12月、安哲秀支持勢力が離党、その後も全羅道出身勢力や非主流派からの離党が続き、党名を再度「トブロ(共に)民主党」に改名した。こうした野党分裂による与党セヌリ党の優位な状況が、16年4月の国会議員選挙において、どのような結果をもたらすのか注目される。16年3月7日現在、107議席。