現在の韓国の与党。セヌリとは「新しい世の中」を意味する。2012年2月、前身与党ハンナラ党の危機打開を託された朴槿恵(パク・クネ)主導の党非常対策委員会によって党名を変更し、成立した。ハンナラ党は、1997年11月、翌月の大統領選挙を目前にして、当時の与党、新韓国党を中心として結成された。しかし、97年、2002年の2度の大統領選挙では、李会昌(イ・フェチャン)前首相(国務総理)を大統領候補として政権に挑んだが、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)に敗れ、野党の地位に甘んじた。ただし、04年の国会議員選挙までは、議会内で常に第一党を占めた。離合集散を繰り返す韓国の政党の中、10年以上持続している。10年続いた「進歩」政権への対抗として「保守」の結節点になったからだ。そして、07年大統領選挙では、まず、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の長女、朴槿恵議員との激烈な候補者争いを制し、李明博(イ・ミョンバク)前ソウル市長が候補者に選出された。そして、李明博候補が圧勝し与党に返り咲いた。さらに、翌08年国会議員選挙でも、与党が分裂したにもかかわらずハンナラ党が圧勝し過半数を上回る153議席を獲得した。その後、補欠選挙では勝利と敗北の一進一退を繰り返したが、11年4月の国会議員補欠選挙では、ハンナラ党の地盤であったソウル近郊の盆唐で野党民主党の代表(当時)孫鶴圭(ソン・ハッキョ)の当選を許すなどして実質的に敗北し、さらに、10月与党現職市長の辞職に伴うソウル市長選挙では、野党系統一候補にソウル市長の座を明け渡すなど、ハンナラ党は支持を失う。その結果、ついに、李明博大統領のライバルであり次期大統領候補として有力な朴槿恵(パク・クネ)が非常対策委員長に就任、セヌリ党に改名、党の実質的権限を掌握し、12年4月の国会議員選挙に臨み、野党有利の事前の予想を覆して152議席という過半数を獲得した。その余勢をかって、李明博政権への否定的な評価が著しいにもかかわらず、朴槿恵候補が12月の大統領選挙で勝利し、与党の立場を維持した。12年12月末現在、154議席。