韓国最左派の労働者政党。韓国は長期間、反共体制の下、政府に批判的な労働運動が抑圧されてきたが、民主化とともに、政府に批判的な労働運動の組織化が進んだ。その結果、1990年の全労協(全国労働組合協議会)結成を経て、95年に民主労総(全国民主労働組合総連盟)が結成された。民主労総は、96年に労働法改正に反対して全国規模のゼネストを展開した。この民主労総が中心となって、2000年に民労党が結成された。韓国の進歩的な政治勢力は、民主化以後、大統領選挙や国会議員選挙で勢力拡張を図ってきたが、議会進出は挫折を繰り返し、大統領選挙でも3%程度の得票率にとどまった。しかし、04年の国会議員選挙で、比例区において13%の得票率、10議席を獲得した。その後、対外的自立と南北統一に優先順位を置くNL派(National Liberation)と、国内の労働者階級など民衆の利益実現に優先順位を置くPD派(People's Democracy)とが内紛。その結果、NL派の宥和的対北朝鮮政策を批判する勢力が党を割って、08年3月進歩新党を結成した。同年4月の総選挙で、民労党は民主労総の支援などで辛くも5議席を獲得したが、進歩新党は議席獲得に失敗した。その後、両者は再び合同、統合進歩党に党名を変更し、12年4月の国会議員選挙に臨み、民主統合党との選挙協力もあり13議席を獲得した。しかし、その直後、党内予備選挙の不正やその北朝鮮に対する宥和的姿勢が「従北」として批判され、再び、統合進歩党と正義党(5議席)とに分裂した。同年12月の大統領選挙では李正姫(イ・ジョンヒ)を候補としたが、投票日直前に辞退した。その後、李石基(イ・ソッキ)議員が北朝鮮の対南革命に呼応して内乱を企てたという理由で内乱陰謀罪で逮捕された。党の存在自体が違憲であるという政府による解散請求を受けて、14年12月憲法裁判所は同党を解散させることを決定した。これは北朝鮮と対峙する分断国家韓国の「反共バネ」を刺激することで、朴槿恵政権の支持率回復の追い風になった。