北朝鮮は、国家主導の農業集団化と重化学工業優先戦略によって、朝鮮戦争による国土の荒廃から回復し、1970年代初頭までは、韓国よりも豊かであった。しかし、それ以後、農業不振による食糧難、対外債務増大による設備更新の不振などの構造的な要因によって、80年代には、韓国に対する経済的な劣位が決定的になった。90年代ポスト冷戦時代の到来とともに、91年、豆満江下流の羅津・先鋒自由貿易地帯の設定など、部分的な開放政策を試みるが、核危機による緊張増大などもあり不十分なものに終わる。90年代以降、中国への貿易依存が高まるとともに、2000年の南北首脳会談を契機に、南北の経済協力も活発になり、開城工業団地も造成された。そうした流れの延長線上に、02年7月経済管理改善措置を出し、(1)物価・賃金の引き上げ、(2)外貨兌換券の廃止とウォンの切り下げ、(3)穀物を除く配給制の廃止など、一連の経済改革が行われた。また、9月に新義州、11月に開城と金剛山を「経済特区」に指定した。こうした一連の措置は、市場経済の導入ではないかとも評価されたが、北朝鮮政府の公式の立場は異なる。あくまで、計画経済が基本であり、市場はそれを補完するにすぎないという立場であり、実際、07年以降の生産力の回復に伴い、配給制度復活による国内統制を強める方向に逆流している。その結果、北朝鮮政府は、09年11月末、1世帯当たり10万ウォンを限度とし、旧通貨と新通貨を100対1の割合で交換するデノミを内容とする通貨改革を実施した。これは、市場経済の浸透とともに蓄財した富裕層に経済的打撃を与え、経済的統制を強化しようとするものであった。しかし、デノミの結果、物資が不足しインフレが激化するなど経済的混乱に拍車がかかることになってしまい、デノミの責任者は処刑された。金正恩(キム・ジョンウン)体制下、叔父張成沢(チャン・ソンテク)の意向もあり、中国の助言に従って市場経済の一定の導入に前向きな姿勢を示してはいるが、12年10月の最高人民会議で、農民に収穫物の一部を自由に処分することができることを定めた農業制度改革の導入の発表を見送るなど、経済政策に関しては依然として明確な方向性を提示できないでいる。