米韓自由貿易協定。2006年2月、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領(当時)自らが主導して米韓FTA締結に取り組むと発表し、07年4月に両国間で合意された。盧武鉉政権は経済的格差を増大させる経済の自由化に積極的でないと見られていたこともあり、米韓FTAは、反盧武鉉政権の保守陣営から歓迎されるという皮肉な結果をもたらした。総論においては、米韓関係がより緊密になり、アメリカの政策に対する韓国の発言力が高まるという理由で賛成が圧倒的であったが、いざ各論に入ると、批判的な意見も提起された。その一環として、アメリカ産牛肉の輸入自由化に関する交渉が行われ、08年4月の李明博(イ・ミョンバク)大統領の訪米直前に、生後30カ月未満の骨付き肉を輸入するという韓国側が譲歩する形で合意が形成された。しかし、この合意に対して、BSE(狂牛病)罹患の牛肉が輸入される可能性があるという指摘がインターネットなどで流布されることで、5月から6月にかけて連日のようにソウル市内でキャンドル集会が開催された。特に、インターネットで自発的に呼びかけられた集会が、中高生までも参加して行われることで、李明博政権の支持率を大きく低下させた。結局、再交渉を通して韓国側の要求をある程度貫徹させることで、事態は収束したが、李明博政権にとっては民意の脅威を感じさせる教訓になった。その後、米韓FTAに消極的なオバマ政権が登場し、牛肉と自動車の非関税障壁の問題をめぐり不透明な状況が続いたが、オバマ政権の積極姿勢への転換により妥結に向けた動きが見られ、ついに、11年末、米韓両国で批准され、成立した。ただし、その過程で韓国国内では野党などを中心として、「投資・国家提訴条項(ISDS;投資先の政府の規制で被害を受けた投資家が国家を相手取り、損害賠償を求めて第三者機関に提訴できる制度)」が韓国の自主権を放棄するものだとして反対が高まり、国会でも強行採決を余儀なくされた。