2012年12月19日の第18代韓国大統領選挙で、与党セヌリ党候補として51.6%という1987年民主化以後初めて過半数の支持を獲得して大統領に当選し、2013年2月25日以降、初の女性大統領として韓国を率いている人物。1961年軍事クーデター以後、約18年間、権力を掌握して、韓国の近代化を達成し、経済面における北朝鮮に対する体制競争を勝利に導いた、故朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の長女である。52年大邱(テギュ)生まれ、西江(ソガン)大学電子工学科卒業。74年8月、朴大統領をねらった狙撃事件で大統領夫人である母親、陸英修(ユク・ヨンス)を失い、母親の代わりに大統領の外遊などに同行しファーストレディー役を務める。さらに、79年10月26日に今度は現職大統領であった父親の朴正煕も、部下の銃弾によって失うことになる。その後、父親の残した財団の管理運営などを行うが、98年国会議員補欠選挙で当時の野党ハンナラ党から立候補して当選する。2004年の国会議員選挙では、当時の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領に対する弾劾訴追を主導したことで窮地に陥ったハンナラ党の救世主となり、一躍大統領有力候補に浮上した。しかし、07年の大統領選挙では党内予備選挙で李明博(イ・ミョンバク)候補に惜敗して大統領候補にはなれなかった。その後、李明博政権の支持率低下を受けて困難に陥った与党の救世主として再登場し、12年国会議員選挙における与党セヌリ党勝利の立役者となり、圧倒的な支持を受け大統領候補に選出され、第18代大統領選挙で勝利を収めた。