1993年以降の北朝鮮の核開発疑惑と国際原子力機関(IAEA)による査察拒否、核不拡散条約(NPT)脱退予告に端を発した第1次北朝鮮核危機、2002年以降のアメリカケリー国務次官補の訪朝時、北朝鮮姜錫柱(カン・ソクチュ)外務次官による核開発自認に端を発した第2次核危機を経て、06年10月の第1回核実験、09年5月の第2回核実験で、北朝鮮の核開発の事実が明確になった。北朝鮮は当初は核開発の事実を否定していたが、その後、朝鮮半島の非核化のためにはアメリカの核に対する抑止力を確保する必要があり、そのために核開発を試みているという理由を掲げた。そして、金正恩(キム・ジョンウン)体制への移行後、12年4月の憲法改正で、前文において「核保有国」であることを明記した。これは、核保有国としての国際的地位を確固たるものにしようとする試みであり、対米関係においても同じ核保有国としての「待遇」を求めている。本来であれば、北朝鮮の核問題をめぐって開催されたはずの6者協議も、05年9・19共同声明で北朝鮮の非核化を目指すことが合意されたにもかかわらず、その後は停滞し、08年12月を最後に、12年12月まで、約4年間開催されない状態が持続する。過去、失敗したとはいえミサイル発射の後、核実験を実施していることから、12年12月のミサイル発射実験が成功裏に行われたために、13年早々の核実験の可能性も取りざたされている。一方で、北朝鮮の核保有を抑制するための6者協議の再開が必要とされるが、他方で、そもそも6者協議は北朝鮮の核保有を阻止できなかったという悲観的な見方もある。