2012年は08年以来4年ぶりに日朝協議が再開された。そのきっかけになったのは、8月から11月にかけて4回にわたって行われた、北朝鮮で亡くなった日本人の遺族による墓参や遺骨収集調査を、北朝鮮が日朝赤十字協議を通して受け入れたことである。そして、8月29~31日、北京での日朝外務省の担当課長級協議を経て、11月15、16日には、尖閣問題をめぐる日中間の緊張激化の影響を考慮して、モンゴルのウランバートルで担当局長級協議が開催された。双方とも、02年9月の日朝平壌宣言を再確認し、拉致問題、日本人遺骨問題、核ミサイルなどの安全保障問題、過去の植民地支配に起因する諸問題など、日朝間の懸案に関して協議を進めることを確認した。そして、12月5、6日に北京で第2次局長級協議の開催が発表されたが、北朝鮮のミサイル発射実験が11月27日に発表されたのに伴い、日本側からのキャンセルによって局長級協議は開催されないまま13年を迎えることになった。そして、12月12日にミサイル発射が実際に行われ、それに対する国際的制裁の必要性が高まるとともに、日本において対北朝鮮強硬政策を掲げる安倍晋三自民党政権の登場に伴い、日朝局長級協議の開催は不透明な状況になっている。