中国には55の少数民族が各地に分布し、全人口の約8%を占める1億人余りがいる。少数民族の中では1500万人のチワン族が最大で、100万人以上の人口を擁する少数民族は18に上る。大半の少数民族は中央の党・政府の少数民族への慰撫政策や長年にわたる漢族との同化によって政治的には漢族・中央に従順、非抵抗的である。中央への反発が強く、分離独立運動が目立つのは特に、チベット仏教とイスラム教をそれぞれの精神的支柱とするチベット族とウイグル族である。チベット族は1951年に共産党の支配下に入り、59年の「動乱」平定後急進的に社会主義化が進んだが混乱と貧困を招いた。改革開放以後は経済発展の支援を強化しているが、他方で87、89年に独立運動が顕在化すると戒厳令をしくなど厳しく鎮圧した。チベット独立運動の指導者ダライ・ラマ14世も、高齢と中国の国際的な封じ込めによって近年活動は停滞気味である(→「チベット問題」)。新疆ではかつて30~40年代に大規模な東トルキスタン独立運動が起こったが、その流れをくむ急進的なウイグル独立運動が今日も続いている。この運動はイスラム原理主義の過激派アルカイダとも関係を持ち、新疆ウイグル自治区各地で建物の爆破、テロ、暴動を繰り返すようになっていった。しかし、2001年のアメリカ同時多発テロ以降、欧米などが中国当局とも歩調を合わせてこうしたテロ鎮圧に動くようになり、政府当局の締め付けは厳しくなっている。09年7月には広東省のある工場での民族間対立を契機にウルムチでもウイグル族の激しい抗議行動が発生し、当局発表だけでも200人近い死者が出るほどの暴動となった。チベットも新疆も依然として抵抗は根強く続いており、重大な不安定要因であることは否定できない。さらに11年5月には内蒙古自治区で、モンゴル遊牧民が漢族の運転する車でひき殺された事件をきっかけに、フフホトなどで抗議のデモが起こり、モンゴル族の反漢族の動きが表面化している。また12年10月には中国共産党第18回全国代表大会を前に、胡錦濤総書記の「民族の団結」の呼びかけに抗議し、青海省チベット族青年僧侶の焼身自殺が相次ぎ、それに呼応するように黄南チベット族自治州同仁県では1万人規模のデモが起きるなど、民族や宗教問題が足もとから噴き出し、民族問題の深刻さを浮き彫りにした。