1997年の香港返還にあたり、一つの中国に社会主義の大陸と資本主義の香港の、二つの制度を並存させる「一国二制度」方式による香港特別行政区が設置された。その初代の香港行政長官に董建華が選ばれ、2002年の二度目の選挙でも無投票で再選され、親中国政府の立場を鮮明にしつつ香港のかじ取りを行って来た。行政長官は経済界や労働団体代表などあらかじめ指名された800人の選挙委員(親中派多数)によって選出されることから、香港の民主派はこの選挙に不満を表明し、07年選挙からの普通選挙実施を要求していたが、04年4月の全国人民代表大会(全人代)常務委員会はこれを却下した。董建華は05年3月の全人代で辞任し、後任として、香港生まれで1967年香港政庁入りし、2001年ナンバー2のポスト政務司長であった曾陰権が任命され、任期が切れた07年3月に選挙が実施され、対抗馬の民主派候補者を大差で破り再選された。政策通であり、不人気だった董建華と比べて市民の支持は高い。全面普通選挙については05年10月、香港政府の選挙改革案が提出されたが、民主派などとの調整ができず当面見送りとなった。さらに全人代常務委員会は07年末、香港側が要請していた全面普通選挙の12年実施を認めず、17年には可能との決定を行った。民主党などはこれに強く反発している。