中国は改革開放に踏み出したものの、周辺地域との貿易は進めても地域経済協力にはそれほど熱心ではなかった。しかし1997年のアジア通貨危機において、地域経済協力の強化を痛感し、また宮沢イニシアチブによる日本の影響力を警戒し、中国も人民元の切り下げ回避などそれなりの協力を進めた。以後、中国は東南アジア諸国との地域経済協力に強い関心を示すようになり、拡大メコン川流域開発(GMS)などに積極的に取り組むようになった。2001年11月、中国・東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議で朱鎔基首相はASEANとの間で今後10年以内の自由貿易協定(FTA)締結で合意。02年の第16回共産党大会以降、近隣諸国関係を強化し、パートナー関係の構築を目指すようになる。以後漸進的ではあるがFTAは実質的に推進し、投資協定も署名された。この間、ASEANの対中貿易は急増し、11年の貿易総額は3629億ドルを記録し、日中貿易を超えるまでになった。10年1月にはASEAN+中国のFTAが正式に発足した。また03年には東南アジア友好協力条約(TAC)に加盟している。これは中国が経済以外の地域協力にも積極的になったことを意味しており、欧州連合(EU)とも北米自由貿易協定(NAFTA)とも異なるASEAN+3の東アジア共同体への道を切り開いた。しかし政治・安全保障的には必ずしも順風満帆とは言えない。02年に中国・ASEANが署名した「南シナ海行動宣言」は南シナ海における領土・領海問題、具体的な紛争処理に関して対話と協議による平和的処理を最優先する合意であった。しかし規範化を目指すASEAN側とそれを事実上拒否し問題の2国間処理を主張する中国側との譲らぬ平行線は続いている。そうした中で南シナ海の海底資源開発、漁船拿捕(だほ)など様々な問題が起こり、中国海軍の増強、核心的利益論などが後押しをし、当地で中国脅威論が再燃している。