第二次世界大戦後の台湾で問題にされてきたのは、以前より台湾に住み着いていた本省人と戦後国民党と共に台湾に移り住んできた外省人の間にあった対立(省籍矛盾)であった。特に1947年2月、国民党統治下で警察による2万人を超える本省人虐殺事件(二・二八事件)が起こり、しかも事件は長く抹殺されてきたため、本省人の外省人不信は決定的となった。もっとも、長期にわたる「中国人民族教育」によって、台湾の多くの人は自らを中国人であると意識し続けてきた。しかし90年代に入り、李登輝による「中華民国の台湾化政策」「台湾語の普及」「台湾自身の歴史教育」などの広がり、さらには外省人も大陸に親近感を特に持たない2世3世が増えてきて、台湾人意識が高まってきた。国民党内でも「新台湾人」を唱える人が増大している。2004年の陳水扁の勝利、民進党の躍進といった選挙の結果から見れば、明確な台湾アイデンティティーを抱く人が半数以上と判断できる。05年4月に台湾の年代テレビ局が実施した調査では、自分が好感を持つ呼び方として「台湾人」が63%、「中国人」が18.1%であった。1990年代以降は、いかなる調査でも「台湾人」が増え、「中国人」が減少している傾向が見られる。