ソンティ陸軍司令官が率いるタイ国軍は2006年9月、無血クーデターにより全権を掌握、外遊中のタクシン首相を政権の座から引きずりおろした。同司令官は、前政権下の国民分裂、汚職腐敗、権力乱用を阻止し国家の正常化をめざすことを決起の大義にあげ、民主改革評議会を設置した。同評議会は全土への戒厳令発布、憲法停止、閣僚と国会議員の解任を発表し、民政移管までの暫定首相にスラユット元陸軍司令官が指名された。タクシンは、政権2期目の06年1月に浮上した首相一族の株売却疑惑を機にバンコクで高まった首相退陣要求に対して、議会解散・総選挙で応じたが、野党は総選挙をボイコット。憲法裁判所は5月、総選挙の無効とやり直しを命じる判決を下すなど政治の混迷が続いていた。東南アジアにおける「民主主義の優等生」とされていたタイでの突然のクーデターは内外で驚きをもって受けとめられたが、バンコクなど都市部ではクーデター支持の声が多かった。しかし、暫定政権は民主体制復帰への実績を示すことができず、国民の間に失望感がひろがっていった。(→「アピシット政権」)