ミャンマーで1980年代後半から始まった、軍事政権に対抗して民主化を目指す運動を指す。軍人出身のネウィンが26年間も独裁体制を続けてきたが、88年に反政府デモでネウィンは退陣し、民主化運動が全国に広がった。しかし、軍はクーデターで国家法秩序回復評議会(SLORC)を設置して全権を掌握した。デモ隊の死者は1000~3000人に上るとされる。当時、イギリスから一時帰国中だった「建国の父」アウンサン将軍の娘スーチーは民主化運動組織の国民民主連盟(NLD)の書記長に就任した。軍事政権は総選挙の実施を公約したが、90年の総選挙でNLDが議席の8割を獲得すると、軍政は政権移譲を拒否した。スーチーは以来、断続的に通算15年の自宅軟禁に置かれた。彼女以外にも多くの政治犯が投獄され、拷問を受けた。2007年8月、僧侶が先頭に立って大規模な反軍政デモを行ったが武力鎮圧された。デモを取材中の日本人ジャーナリストも射殺された。NLDがボイコットした10年の総選挙では、軍事政権の継承政党である連邦団結発展党(USDP)が圧勝した。11年に選出されたテインセイン大統領は、自宅軟禁を解かれたスーチーと会談し、協力して民主化を進めることを確認した。NLDなど政党活動が保障され、12年の議会補欠選挙ではNLDが圧勝した。政治犯の釈放、メディアへの事前検閲の廃止、民間による日刊紙の発行許可など民主化の動きは続いている。