ブミプトラとはマレー語で「土地の子」(マレー系住民と先住民)を意味し、マレー人の経済的地位の向上をめざすマレー人優遇政策。独立後、人口の6割以上を占める多数派のマレー人は政治的実権を握ったものの大半は農業に従事し、経済的実権はイギリス植民地時代に外国人労働者として導入された中国人に牛耳られていた。1969年のマレー人と華人の「人種暴動」後に就任したラザク首相は、マレー人の経済的立ち遅れが事件の原因であるとして、商工業部門へのマレー人の参入と農業近代化の促進によりマレー人の経済力向上をめざす新経済政策を打ち出し、71年には憲法に盛り込んだ。マレー人は教育、雇用、許認可、融資などあらゆる分野で優遇措置を受けられるようになり、「マレー人の復権」を叫ぶマハティールが81年に首相に就任後、政策はさらに強化された。マハティールはその一環として、日本や韓国の経済発展の経験に学ぶ「ルックイースト(東方)政策」を推進し、多数のマレー人留学生、研修生を日本に派遣した。その結果、マレー人ビジネスエリートや中産階級が生み出された半面、就学や就職の機会を奪われた華人・インド人中下層の不満が蓄積。さらに与党の汚職の温床となっているとの批判が高まり、非マレー社会からは政策見直しを求める声が高まっている。ナジブ首相は経済活性化のためにも政策の一部見直しを表明しているが、マレー系住民の反発が予想されるため難しいかじ取りが予想される。(→「ナジブ政権」)