2009年4月に首相に就任した統一マレー国民組織(UMNO)総裁ナジブ・ラザクが率いる政権。「ワン・マレーシア」を掲げ、マレー系国民を優遇する「ブミプトラ政策」を見直し、華人系国民なども取り込む民族融和策を展開。裁判なしの拘束を認めた国内治安法を廃止し、国家目標に掲げた20年までの先進国入りに向けたロードマップを発表した。しかし野党側は、一度失脚したアンワル・イブラヒム元副首相が08年8月に下院選挙で当選したことを受け、彼を指導者として人民連盟(PR)を結成。13年5月の総選挙で野党勢力が得票率で与党連合を上回って、衝撃を与えた。ナジブ首相はマレー系を中心とする支持層を固めるため、ブミプトラ政策の復活を打ち出し、廃止を予定していた植民地時代の言論統制法である「扇動法」や「テロ防止法」をより厳格に改正。政治家、ジャーナリスト、弁護士などを次々と逮捕・起訴するなど、強権的傾向を強めた。アンワル元副首相は裁判で、イスラム教では罪とされる同性愛を意味する「異常性行為罪」に問われ、一審は無罪だったが控訴審で有罪となり、15年2月、最高裁で有罪が確定した。一方ナジブ首相も、自身が顧問を務める政府系投資ファンド「ワン・マレーシア・デベロップメント(1MDB)」から首相の個人口座に約7億ドル(約860億円)が送金されていたことが15年7月に表面化。1MDBは14年時点で420億リンギット(約1兆3595億円)の負債を抱える上、調査に当たったスイスの検察当局から40億ドルの使途不明金があることが指摘されたが、マレーシア司法当局はナジブ首相への送金は「サウジアラビア王室からの寄付」と主張、疑惑の幕引きを図った。ナジブ首相は16年5月に1MDBの顧問を退任したが、同年7月内閣改造を断行し、首相に批判的だったムヒディン・ヤシン副首相らを更迭。1MDB問題を論じた経済紙2紙を発禁処分にした。これに市民が反発し、同年8月、首都クアラルンプールで退陣を求める10万人規模の大規模なデモが行われ、政敵のマハティール・ビン・モハマド元首相(→「マハティール元首相の再出馬」)がナジブ首相の退陣を求める演説をした。18年前半に予定される総選挙に向けて、両陣営の対立の激化が予想される。