インドネシアを32年間支配してきたスハルト大統領が1998年5月に辞任し、後任にハビビ副大統領が昇格した。65年9月30日に親共産党系軍人が陸相らを殺害してクーデターを企てたとされる9・30事件で、スハルト少将率いる陸軍は共産党勢力を弾圧して権力を掌握、この弾圧のなかで数十万といわれる人命が失われた。事件への関与が疑われた初代大統領スカルノを失脚させ、68年に大統領に就任したスハルトは、独裁体制のもとで日本など先進国からの援助と外資を積極的に導入して経済開発を進め「開発の父」とたたえられた。だが80年代に入るとスハルト一族の「ファミリービジネス」に利権が集中するようになり、大統領批判が強まってきた。97年7月からのアジア通貨危機でルピアは暴落、政府は国際通貨基金(IMF)に金融支援を求めた。しかし、公共料金の大幅値上げなどIMF主導の政策に対し98年5月、各地で抗議デモが発生、首都ジャカルタでは暴動に発展し、スハルトは辞任を余儀なくされた。続くハビビ政権はスハルト一族や側近を排除し、政治犯の釈放、言論・結社の自由化、国権の最高機関である国民協議会改編、金融再編などの改革を進めたが、経済再建は成果を上げられず99年10月ワヒド政権にバトンタッチした。ワヒド大統領も議会軽視姿勢と資金疑惑などから1年で罷免され、スカルノ初代大統領の長女であるメガワティ副大統領が大統領に昇格した。しかし、親族、側近の汚職、ファミリービジネス横行など大統領自らの改革逆行姿勢に国民の反発が強まり、2004年4月の国政選挙ではメガワティの闘争民主党はゴルカル党に次ぐ第2党に転落し、初めて直接選挙となった大統領選でも惨敗した。