2002年の憲法改正によりインドネシアの大統領は直接選挙で選出されることになり、史上初の大統領直接選挙が04年7月に行われた。選挙ではメガワティ政権の腐敗を批判して辞任したスシロ・バンバン・ユドヨノ前国防治安調整相がメガワティ大統領、ウィラント元国軍司令官、アミン・ライス国民協議会議長らを抑えて1位となり、9月の決選投票でもメガワティに圧勝して第6代大統領に就任した。ユドヨノ政権は汚職撲滅、治安回復をめざす強いリーダーへの国民の期待を担って発足し、経済回復や自由アチェ運動(GAM→「分離独立運動」)との和平の達成、04年12月末のスマトラ沖大地震、06年5月のジャワ南部地震の復興対策などの実績をあげてきた。09年7月に行われた大統領選挙ではユドヨノは好調な国内経済を追い風にメガワティ元大統領、ユスフ・カラ前副大統領を大差で抑えて大統領に再選された。ユドヨノ大統領率いる民主党も第4党から第1党に躍進し、ユドヨノ大統領の政治的基盤は大幅に強化された。第2期ユドヨノ政権は発足直後にブディオノ副大統領(前中央銀行総裁、元蔵相)、スリ・ムリヤニ蔵相らの銀行救済の絡んだ疑惑事件に揺れたが、順調な経済成長の後押しもあって、国民から安定した支持を得ている。11年にはインドネシアはASEAN議長国(毎年交代)に当たり、ユドヨノ大統領は各種会議を取り仕切り、11月にバリで行われた東アジア経済サミットでも議長として域内包括的経済連携構想の積極的な姿勢を見せるなど、外政面で存在感を示した。