独立後長らく、多数の公企業や政府による民間企業活動への強い規制を特徴としてきたインド経済は、1991年7月に始まる経済改革の下で、経済自由化に本格的に乗り出した。以後の経済改革は民間活動分野の開放、外資導入の活発化などを中心とする96年までの前半期と、金融、労働、公企業などの制度改革を核とする後半期に分けられる。前半は国民会議派政権期、後半はインド人民党連合政権期に対応し、東アジア諸国のように7%の壁を突破することはできなかったものの、90年代を通じて年率平均6%の成長率を達成した。インドの改革はしばしば中国のそれと比較されるが、インドの最大の弱点は、基礎教育、医療などの人間開発の遅れ、道路、電力などのインフラの未整備である。2002年度から始まった第10次5カ年計画では、こうした課題を重視している。また中国では農業生産や農村工業が改革開放政策を支え雇用を創出したのに対して、インドの経済改革の下では雇用のめざましい創出が見られなかった。継続的な高成長には農業部門が足かせとなっている。04年5月の統一進歩連合(UPA→「マンモハン・シン政権」)政権の成立で経済改革は第3段階に入り、新政権は雇用創出を最優先課題としている。07年からの第11次5カ年計画では、03年以降の8~9%台の順調な経済成長の恩恵を貧困層、マイノリティ、女性などにまで広げる「包摂的な発展」を合言葉に、農村インフラの拡充、全員就学事業、保健衛生事業などを特に重視している。この「包摂的な発展」政策は、09年5月に発足した第二次UPA政権によっても継承されている。