2007年1月から、08年12月まで続いた非常事態宣言。1991年の民主化以降、バングラデシュでは、アワミ連盟(BAL)とバングラデシュ民族主義党(BNP)が、5年ごとの国民議会選挙のたびに政権を交代してきた。2001年10月に行われた選挙では、BNPを中心とした野党4政党連合が300議席のうち219議席を獲得し、党首カレダ・ジア夫人を首相とする連立政権が成立した。また、1991年以降、バングラデシュでは、任期満了とともに議会は解散され、元最高裁長官を首席顧問とする中立的な選挙管理内閣が、90日以内に選挙を実施する仕組みが確立している。しかし、2006年10月の任期満了にともなう首席顧問の任命をめぐって与野党が対立、イヤジュッディン・アフマド大統領が兼任するという異常事態が発生した。アフマド大統領兼首席顧問は、07年1月22日の選挙実施を発表したが、BALなど野党は選挙の公正性を求めて、路上封鎖など実力行動を開始した。1月11日、混乱収拾のために大統領は非常事態を宣言、新首席顧問に元国立銀行総裁のファクルッディン・アフマドを任命した。非常事態の導入の背後には、政治の浄化をもとめる援助国側の圧力もあった。その後、新選挙管理内閣は、軍を後ろ盾に、公開の政治活動を禁止しつつ、収賄、暴力的献金強要などの容疑で、BNPのカレダ・ジア党首、BALのハシナ党首とその側近ら、既成政党指導者をいっせいに逮捕、拘禁した。その後、政党法の整備、写真つきの有権者カードの全有権者への配布などが08年10月には終了し、12月29日の国民議会選挙にあわせて、同月16日に、約2年ぶりに非常事態が解除された。選挙結果はBALが300議席中230議席と圧勝し、09年1月6日ハシナ党首が首相に返り咲いた。(→「ハシナ政権」)