2008年12月の国民議会選挙で成立したバングラデシュ・アワミ連盟(BAL)の政権(→「バングラデシュ非常事態宣言」)。首相でBAL党首のハシナ・ワゼドは、バングラデシュ独立の父とされるシェイク・ムジブル・ラフマン(ムジーブ)の長女。イスラム主義政党に対する強硬姿勢や対インド関係の重視という点で、対抗政党のバングラデシュ民族主義党(BNP)とのあいだに政策上の差異がある。経済政策では、輸出振興、内外の民間資本依存など大きな違いは見られない。ハシナ政権は成立直後の09年2月、国境警備のバングラデシュ・ライフル部隊(BDR、現BGB)による待遇改善を求める武装反乱に見舞われた。この反乱は、陸軍将校による幹部職の独占、待遇面での格差などの不満に発したもので、必ずしも政権に向けられたものではない。ハシナ政権はまた、ムジーブとその関係者が殺害された1975年8月15日クーデターの関係者への裁判を急ぎ、最高裁判所は2009年11月に殺害関与者12人に死刑判決を下した(うち5人は10年1月に処刑、6人は海外逃亡中、1人はすでに死去)。また11年6月には憲法改正によって選挙管理内閣制度を廃止し、13年末の次期総選挙に向けて、野党BNPとの対立が深まっている。対インド関係では、国内のイスラム過激派やインド・アッサム州の分離主義武装組織の摘発に協力しているほか、10年1月にはハシナ首相が訪印し、対テロ治安対策での協力、バングラデシュとネパール、ブータン間の陸上交通、インドからの電力供給など両国関係緊密化につながる重要な協定を締結した。(→「インド・バングラデシュ関係」)