2005年11月の大統領選挙で勝利したラジャパクサが樹立したスリランカの政権。シンハラ・タミル間の和平に比較的前向きであったクマラトゥンガ大統領のもと、04年4月に行われたスリランカ国民議会選挙では、第1党となった大統領派の統一人民自由連盟(UPFA)は、マヒンダ・ラジャパクサを首相に擁立した。この選挙で、タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)はタミル民族連盟(TNA)を支持する形で初めて政治参加し、TNAが北・東部州で22議席を取った。しかし、人民解放戦線(JVP)や仏僧勢力が設立した民族の遺産党(JHU)など、シンハラ民族主義を掲げて和平に批判的な政党も、それぞれ40議席、9議席と躍進したため、03年以来中断していた和平交渉の再開は困難になった。04年12月末には、スリランカはインド洋大津波による甚大な被害をうけ、一時は政府とLTTEとが協力して復興に当たることで合意したが、援助物資の配分をめぐる主導権や方法でも対立した。05年8月、カディルガマル外相(タミル人)が私邸で狙撃され死亡。クマラトゥンガ大統領は非常事態宣言を出すとともに、犯行はLTTEによるものと非難した。05年11月の大統領選挙で、退任するクマラトゥンガ大統領の意に反して、シンハラ民族主義のJHUやJVPに支持される形でラジャパクサ首相が大統領選挙で勝利を収めた。ラジャパクサ大統領は08年以降LTTE支配地域への攻撃を強化し、09年5月に至りプラバカラン議長を殺害しLTTE勢力を掃討した。ラジャパクサはシンハラ民族主義の体現者としてシンハラ人から高い支持を得ているが、他方で政府に批判的な報道の弾圧、兄弟をはじめとする親族の重用、汚職腐敗など、強権的な政治運営への批判も根強い。10年1月の大統領選挙では、有力な対立候補であった前陸軍参謀長のS.フォンセカを破って再選された。同年4月の国民議会選挙でも225議席中144議席と大勝し、9月には第18次憲法改正によって、大統領(任期6年)の三選を可能にした。一族支配、強権体制の色彩はいっそう濃厚になった。