2007年3月ムシャラフ大統領は、イフティカル・ムハムマド・チョウドリー最高裁判所長官を近親への便宜供与のかどで免職した。チョウドリー長官は、軍による人権侵害に厳しく、ムシャラフ大統領の陸軍参謀長の兼任についても、憲法上の疑義を抱いているとされ、大統領は07年11月に予定されていた総選挙を前に、長官を罷免する必要を感じていた。この人事に司法関係者がまず抗議の声をあげ、野党がそれに加わった。こうして長官の復職要求は、1999年10月のムシャラフ将軍によるクーデター以来の本格的な民主化闘争へと発展した。抗議におされて最高裁は2007年7月20日前長官罷免措置の取り消しを命じた。復職したチョウドリー長官のもとで、最高裁は、7月中旬に発生したイスラマバードのラール・マスジッドへの軍による突入作戦の責任問題をとりあげ、さらに8月にはムシャラフ将軍によるナワーズ・シャリフ元首相の追放処分(サウジアラビアに滞在)取り消しを行うなど、ムシャラフ大統領にとっての最大の抵抗勢力となった。11月3日の非常事態宣言で、ムシャラフ大統領は、司法府が政治的混乱をもたらしていると強く批判し、再びチョウドリー長官らを解任した。新たに任命された最高裁判事団は、11月24日にムシャラフの大統領選出を合法と認めた。08年2月の国民議会選挙で大勝したパキスタン人民党(PPP)とムスリム連盟ナワーズ・シャリフ派(ML-N)は、当初チョウドリー前長官をはじめとする判事の復職に合意していた。しかし、ムシャラフ大統領下でとられたPPP共同総裁ザルダリ(→「ザルダリ政権」)への汚職疑惑の免訴措置が、チョウドリー長官の復職によって無効化されることを恐れるPPPは、復職の即時実施を渋り、それを不満とするML-Nとの対立が続いた。09年3月に入り、ML-Nは法曹関係者らと大規模な復職要求デモを組織し、ついに3月16日チョウドリー長官らの復職を認めさせた。