2008年9月に成立したパキスタンの政権。08年2月の国民議会選挙では、パキスタン人民党(PPP)とムスリム連盟ナワーズ・シャリフ派(ML-N)の二つの反ムシャラフ(→「ムシャラフ政権」)政党が圧勝した。3月、国民議会はPPPの元国民議会議長ユスフ・ラザ・ギラニを首相に選出し、PPPとML-Nの連立内閣が成立した。両党は8月にムシャラフ大統領弾劾に合意し、ムシャラフ大統領を辞任に追い込んだが、チョウドリー最高裁判所長官らの復職問題(→「最高裁長官罷免問題」)をめぐって決裂し、ML-Nは連立内閣から撤退した。ザルダリは9月6日の大統領選挙(連邦と州の議員による間接選挙)で対立候補を破り、同9日、大統領に就任した。アフガニスタン国境の連邦政府直轄部族地域では、同年7月ごろから本格化したアルカイダ、タリバンに対する米軍の越境攻撃によりアメリカへの反発が強まり、9月のイスラマバードのマリオット・ホテル爆破など、各地で自爆テロが発生した。さらに11月にインドで発生したラシュカレ・タイバによると見られるムンバイ同時テロ事件で、対印関係にも緊張が走っている。ML-Nとの対立の要因であった最高裁長官罷免問題では、法曹関係者や諸野党のデモを背景に、09年3月チョウドリー最高裁長官らムシャラフ前大統領によって解任された判事の復職を受け入れた。10年4月には、1973年憲法が定めていた議院内閣制に復帰する憲法改正法案が成立し、大統領権限は縮小された。法案は同時に北西辺境州を「ハイバル・パフトゥン・ハー(「パシュトゥーン人の土地」の意)」と改称した。2011年に入ると、5月の米海軍特殊部隊によるウサマ・ビンラディン殺害作戦をめぐって対米関係が緊張するなか(→「パキスタン・アメリカ関係」)、軍との対立、自身の不正蓄財問題(→「ザルダリ汚職事件」)など、13年5月に予定されている次期総選挙に向けてザルダリ政権の混乱は深まっている。