2007年12月27日、パキスタン最大の野党であるパキスタン人民党(PPP)総裁のベナジル・ブット元首相は、08年1月8日に予定されたパキスタン連邦下院選挙のため、ラワルピンディー市で遊説中、銃撃を受け死亡した。1998年以来ロンドンに亡命していたブット元首相は、来るべき総選挙への参加を表明し、米英の支持を背景に、2006年末ころからムシャラフ政権との水面下の交渉を続けてきた。07年10月18日に帰国したブットは、ムシャラフが陸軍参謀長を兼任したまま大統領に再選されることには難色を示したものの、ムシャラフによるテロ対策を支持し、チョウドリー最高裁長官罷免問題でも、政権寄りの姿勢を示した。そのため、帰国直後を含め、しばしばイスラム主義者によるテロ攻撃の標的となった。暗殺直後のPPP支持者による暴動などから総選挙は08年2月18日に延期された。PPPはブットの遺志に従い19歳の長男ビラワル・ブット・ザルダリを後継総裁に選出したが、夫のアシフ・アリ・ザルダリが共同総裁として当面は采配を振るう。選挙は、ムシャラフ政権下での言論弾圧、最高裁長官を含む判事の罷免、物価上昇などへの不満から、ブットのPPPとナワーズ・シャリフのムスリム連盟(ML-N)が圧勝した。間接選挙による女性議席などをあわせPPPは120議席、ML-Nは90議席を得た(総議席342)。両党は3月10日、議会開会後30日以内の罷免判事の復職、PPPの首相選任権、ML-Nの内閣参加などに合意した。3月24日にはPPPのユスフ・ラザ・ギラニを首相とする、ML-Nとの連立政権が誕生した。ムシャラフ大統領の弾劾では一致した両党も、チョウドリー最高裁長官らの即時復職をめぐって対立し、ML-Nは8月25日連立を解消した。11年11月、暗殺事件の調査委員会による報告を受けて、テロ特別法廷は警察幹部2人、パキスタン・タリバン運動関係者5人を起訴した。