2011年5月にアメリカ海軍特殊部隊が、パキスタン政府・軍への事前通告なしに、アボッターバード市に潜伏中のウサマ・ビンラディンを急襲し殺害した事件は、両国関係をかつてない緊張状態に陥れている。パキスタンは01年の同時多発テロをきっかけに、アフガニスタンのタリバンへの支援関係を断ち、アルカイダ、タリバンを標的とするアメリカの対テロ作戦に協力してきた。具体的には、アフガニスタンに隣接するパキスタンの部族地帯に避難したアルカイダ、タリバンらの掃討、国際治安支援部隊(ISAF)への補給路や兵站(へいたん)基地の提供などである。その結果、部族地帯ではパキスタン政府に反発するパキスタン・タリバン運動が組織された。また、アメリカ撤退後のアフガニスタンへの影響力を確保し、カシミールをめぐる対印強硬路線を維持するために、タリバンやイスラム過激派と密接な関係をもつ勢力がパキスタン軍内、特に三軍情報部(ISI)のなかに存在する。米軍の無人攻撃機によるパキスタン領内での越境爆撃などもパキスタン国民の強い反発を招いてきた。両国の協力関係はこれまでも緊張をはらんできた。そのなかでの11年5月のビンラディン殺害作戦は、米軍によるパキスタンの国家主権の侵害として、パキスタン世論から激しく反発された。同年1月にはCIA工作員による2名のパキスタン人射殺事件が発生しており、CIAの広範な活動はパキスタン軍ですら把握していなかった。その後パキスタン政府は100人あまりの米軍事要員を追放し、他方アメリカは同国向け軍事援助8億ドルの凍結を決定した。また、12年9月にはISIと関係の深いハッカニ・グループをテロ組織に指定した。