2006年1月、オーストラリア北部ヨーク半島沖でインドネシア・パプア州(ニューギニア島西部)からのボートピープル43人(うち子供4人)をオーストラリアが保護。3月にはそのうち42人を難民と認定し一時保護ビザを発給した。これに対してインドネシア政府は強い不快感を示した。彼らがパプア州独立派住民で、インドネシア政府が虐殺・迫害を行っていると訴えたからである。パプア州はメラネシア系住民が多く、1969年にインドネシアに帰属した後も、独立運動が続いている。オーストラリアのハワード政権(当時)は、インドネシアの反発を受けて、同国に対し、移民法の改正と、今後はボートピープルを国内・領海内に収容せず、太平洋島しょ国に搬送し厳重に審査することを約束して、関係修復を図った。その後、移民法の改正には失敗したものの、同国内の分離運動を支持しないことを明らかにして、2006年11月には同国と安全保障協定を結んでいる。それに対して、07年12月に成立した労働党のラッド政権は、前政権のボートピープル対策全般に対して批判的であり、就任後すぐにハワード政権の政策を改めると公約。08年7月には、難民申請者を収容所に隔離する政策を廃止することなどを発表した。(→「ボートピープル問題」)