1999年9月、当時のハワード首相は、雑誌記者のインタビューで、(1)オーストラリアは人権、民主主義重視の西洋文明の価値観に基づく国家である、(2)近隣の紛争に積極的に関与する、(3)必要なら国防費や国防政策を見直す、と語った。それが「ハワード・ドクトリン」として報じられ、東南アジア諸国に批判された。さらに2002年10月のインドネシア・バリ島爆弾テロ事件後、「周辺地域からのテロ攻撃計画が明白なら、先制攻撃する」と発言して、再び非難された。その後もハワード政権は、アフガニスタンやイラクへの特殊部隊や国防軍の派遣など、アメリカのブッシュ政権に追随し続け、さらに07年2月には国防軍のイラク増派を発表。国民からの批判が高まり、同年11月の総選挙で敗北した。なお、09年5月にラッド政権(07年12月~10年6月)が9年ぶりに発表した防衛白書「アジア太平洋の世紀におけるオーストラリアの防衛:2030年の軍」においては、対米協力、対アジア関与は強調されているものの、国連を重視する姿勢が強く、ハワードが主張した先制攻撃・対米協力強化と副保安官役の遂行などは論じられておらず、ハワード・ドクトリンは否定されている。(→「ギラード政権」)